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横浜地方裁判所 昭和38年(ワ)615号 判決 1967年4月18日

原告 中村文子

<ほか二名>

右原告三名訴訟代理人弁護士 森英雄

同訴訟復代理人弁護士 黒柳和也

被告 横浜市

右代表者市長 飛鳥田一雄

右訴訟代理人弁護士 松尾黄楊夫

主文

一  被告は原告中村文子に対し金九九八、四八一円、同中村久子に対し金一、五九六、九六二円、同中村セイに対し金二四〇、〇〇〇円及びこれらに対する昭和三六年一二月二六日以降完済まで年五分の金員の支払をせよ。

二  原告中村セイの請求中その余を棄却する。

三  訴訟費用は全部被告の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人および同復代理人は「被告は原告中村文子に対し金九九八、四八一円、同中村久子に対し金一、五九六、九六二円、同中村セイに対し金三〇〇、〇〇〇円及びこれらに対する昭和三六年一二月二六日以降完済まで年五分の金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として

「一 原告中村文子(以下単に文子という。)の夫、同中村久子(以下単に久子という。)の父、同中村セイ(以下単にセイという。)の子である亡中村満州男(以下単に亡満州男という。)は昭和三六年二月一三日午前六時三〇分頃、自動車(トヨペットクラウン六〇年型、神五す九〇三三号)を前照燈を点燈して運転し、横浜方面から藤沢方面に向う東海道路上を通常の通行区分に従い道路の左側を時速四五ないし五〇キロメートル位で進行中、横浜市戸塚区平戸町九三六番地先附近の右曲りのカーヴに差し掛った折柄反対側前方一〇〇メートル位の地点に前照燈を点燈したトラックらしい自動車が進行してくるのを認めた直后路上が凍結しているのに気付いたが既に如何ともすることができないでいる間に車輛が右路面の結氷の上でスリップして蛇行し行動の自由を失い道路の中央線を越えて反対側に横向きになって飛出したところを反対方向から進行して来たトラックと衝突し、このため同人は脊髄損傷、第一二胸椎、第二腰椎骨折、左大腿骨々折、左肩損傷、腹部内臓損傷等の傷害を負い約一〇ヶ月の療養を継続したが昭和三六年一二月二五日右負傷により尿毒症を併発して死亡した。

二 右本件事故の原因となった道路面の結氷は左の原因によって生じたものである。

(一)  本件事故地点附近は横浜市保土ヶ谷方面からの東海道と同市弘明寺方面からの道路(以下弘明寺道という。)が合して藤沢方面に通ずるY字形を成しており、横浜方面から藤沢方面に向う東海道の左側には横浜市の設置した排水溝が併行し、この排水溝の水は藤沢方向に流れ弘明寺道に突き当った処から埋設された土管によって弘明寺道の東海道に向って左側を流れている小川に落下するようになっている。

(二)  ところが、本件事故発生以前から右の土管が詰って導水不良となっていたため右排水溝の水が東海道と弘明寺道との交差点に溢れ出し弘明寺道を越えてその先の東海道寄りに流れ、冬期はこれが氷結して自動車のスリップを誘発するのみならず溢水の発生地点附近が両道の分岐点であって東海道の彎曲の発起点となるから特に夜間(早朝)の発見困難な地点に当り、一般的にこのような自動車事故の発生も容易に予見し得たものである。

(三)  右の如き溢水は当時極めて頻繁に起りその氷結による事故が憂慮されたので近隣の住民はもとより所轄警察からも被告に対し善処分を連絡していたものであって、本件事故の原因となった溢水も恐らく前日中または前夜半から起っていたものと思われる。

三 すなわち、本件事故は被告の所有及び占有する土地工作物(排水土管)の設置又は保存の瑕疵によって生じたものであるから、民法第七百十七条に則り、被告は因って生じた損害を賠償すべき責任がある。かりに然らずとするも、被告は国家賠償法第二条、第三条により同様損害賠償責任がある。

四 亡満州男は本件事故当時実兄の経営する中興業株式会社において自動車の運転及び修理に携わり月給二〇、二〇〇円を得て妻子たる原告文子および同久子の両名を扶養しており、その収入は逐年増加したであろうことが予想される。同人は昭和七年九月一八日の出生であり本件事故当時の年令は満二八年五月弱であったからこれを切り上げて満二九才としてもなお三八・七一年の生命表による統計上の余命があり向後三五年間は右と同程度以上の収入を挙げ得たであろうことは明白である。しかして、同人の生活費は総理府統計局発表による全世帯平均一ヶ月の消費支出表により一人当り金六、九三四円程度が相当であると考えられるから、同人は向後三五年間にわたり収入から生活費を差引いた一ヶ月当り金一三、二六六円の利益を失ったもので、その年金的利益に対しホフマン式計算方法を適用して年五分の中間利息を控除した現在価額(〇・三六)は金二、〇〇五、八一九円となり、これが同人の失った将来得べかりし利益であるところ、この外積極的損害として事故後死亡まで支出した治療費金二八九、六七四円と数ヶ月に及ぶ病苦の末遂に死亡した同人の精神的苦痛に対する慰藉料少くも金三〇〇、〇〇〇円とが計上される。

したがって、亡満州男の蒙った損害は右合計金二、五九五、四九三円であるが、これから同人が受領した強制保険金五〇〇、〇〇〇円を控除した金二、〇九五、四四三円(金二、〇九五、四九三円の誤算?)の損害賠償請求債権は同人の相続人である原告文子、同久子により相続された。即ち右債権中、金六九八、四八一円を故人の妻である原告文子が、金一、三九六、九六二円を故人の長女である原告久子が各相続した。

五 原告文子は亡満州男の妻として一旦はその一生の伴侶と定めた夫を不慮に失い、同久子は将来父の養育を受けることなく遂に父を知らずして一生を送ることになるのであり、同セイは老後の身を託すべき子に先立たれたもので、同人等の精神的苦痛は金円には代えがたいものであるが、右に対する慰藉料としてはそれぞれ原告文子につき金三〇〇、〇〇〇円、同久子につき金二〇〇、〇〇〇円、同セイにつき金三〇〇、〇〇〇円を下ることはない。

六 よって、被告に対し、原告文子は損害賠償債権の相続分金六九八、四八一円と慰藉料金三〇〇、〇〇〇円の合計額金九九八、四八一円、同久子は同相続分金一、三九六、九六二円と慰藉料金二〇〇、〇〇〇円の合計額金一、五九六、九六二円、同セイは慰藉料金三〇〇、〇〇〇円、およびこれらに対する亡満州男の死亡の翌日である昭和三六年一二月二六日から支払済みまで年五分の民事法定利率による各遅延損害金の支払を求めるため、この請求をする。」と陳述し(た。)

立証≪省略≫

被告訴訟代理人は、本案前の抗弁として「被告横浜市は原告らの本件訴について被告適格を欠くものであるから、本件訴は却下さるべきである。何となれば、原告らが本件事故が発生したと主張する現場の東海道は東京都の日本橋より大阪に通じる俗にいう東海道幹線であってこれは公知のごとく一級一号国道であるところ、斯種国道の維持、修繕、管理については道路法第十二条の二の規定により都道府県知事又は指定市の長にこれを行わせることができることになっており、同法第十七条の規定により指定市内の区域内に存する一級国道及び二級国道の管理は当該指定市の長が行うこととなっているところ、横浜市は昭和三一年七月三一日政令第二百五十四号、地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市の指定に関する政令により指定された指定都市であるから、横浜市長が国の行政機関としてこれを管理するものであって、その工作物たる排水溝、土管等の設置又は管理保存に瑕疵がありこれに因って損害を生じたとしても、地方公共団体たる横浜市が訴求さるべき筋合でなく、横浜市長が被告たる立場で正当な当事者たるべきものであるからである。」

と主張し、

更に、本案につき「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として

「一 請求原因一中、原告らおよび亡満州男の親族関係はこれを認めるが、その余の事実は全部不知である。

二 同二中、原告ら主張の場所がその主張のような地形であり、その主張の場所にその主張の排水溝および土管があることは認めるが、その余の事実はこれを争う。

三 同三ないし六の主張はいずれもこれを争う。ただし、二の(三)中本件下水溝の溢水に対する近隣住民の苦情があったことは認めるが、その苦情に対して被告は原告ら主張の本件事故発生の約三ヶ月前その主張の下水管につき口径二五〇ミリメートルのものを同四五〇ミリメートルのものに取替えて改修し溢水に対する措置を終了し工作物の瑕疵は完治されたものであって、この点において被告には損害賠償の責任はない。」

と述べ、

なお、

「一 本件排水溝および下水管には当時なんらの瑕疵がなかったものである。即ち、すでにのべたごとく、下水の溢水による苦情に対して被告は本件事故発生の約三ヶ月前の昭和三五年末に暗渠部分の下水管を管径二五〇ミリメートルのものから同四五〇ミリメートルのものに取替えて改修し、これにより、特異な豪雨等の場合は別として、平常の場合には溢水の虞がないように適切な措置を完了していたものであるからである。

二 しかして、しかもなお原告ら主張の本件事故当時溢水があったと仮定すれば、それは本件事故地点の上手に訴外横浜製紙株式会社の製紙工場があって、当時右工場が不純物の混ったどろどろの汚水を放流したため、本件土管は平常の降雨では十分これを呑み得るものに改修してあったに拘らず、これが詰り溢水が起ったもので、不用意に右の如き汚水を排水溝に流した右訴外会社こそ本件溢水の責任があり、被告にはなんらの責任もないものである。

三 かりに、以上の主張が理由なしとするも、本件事故発生の原因は亡満州男の自動車操縦技術の未熟による重大な過失に基因するものである。すなわち、自動車を運転する者は、常にその進路の前方状況を注視し危害を未然に防止するため周到なる注意をすることを要するは勿論、特に降雨、降雪、路上凍結等の際は安全運転のため始終車がスリップすることを念頭において減速運行するのが常識であるところ、原告主張の本件事故現場附近は緩勾配であるとはいえ2/1000の下り勾配であるにかかわらず亡満州男は原告ら自から主張するごとく時速四五ないし五〇キロメートルの速度で下り勾配を進行したものであって、若し同人が寒気厳しい二月一三日の午前六時頃ということを考え降雪霜または路面の凍結等を念頭に置き時速三〇ないし四〇キロメートル位の緩速で注意して運転したならば本件のようなスリップによる事故発生の余地はなかった筈である。

四 又、仮に被告に本件事故につき損害賠償の責任があるとしても、すでに三に述べたごとく、亡満州男にも過失があったのであるから、その過失は損害賠償の額を定めるにつき当然参酌さるべきものである。」

と述べ(た。)

立証≪省略≫

理由

第一  先づ、被告の本案前の抗弁(被告に当事者適格又は訴訟遂行能力なしとの主張)につき案ずるに、「原告らが本件事故発生地点と主張する場所がその主張のような地形であり、その主張の場所にその主張の排水溝および土管がある。」ことは当事者間に争いなく、「右現場が原告ら主張の本件事故発生当時被告主張のごとく横浜市の区域内に存する一級一号国道であった。」ことは顕著な事実であり、又「当時すでに横浜市が指定都市であった。」ことは地方自治法第二百五十二条の十九第一項および同法条の指定都市の指定に関する政令(昭和三十一年七月三十一日政令第二百五十四号、同年九月一日から施行)の定めるところにより明らかであるから、その管理は横浜市長が行うべきものであったことは所論のとおり(道路法第十七条第一項、第十二条の二第一項、第十二条参照)であるが、しかし右道路およびその附属物たる右排水溝および土管の設置又は管理に瑕疵があったために他人に損害を生じたときは、右管理者を長とする地方公共団体たる横浜市においてこれを賠償する責に任ずべきことは国家賠償法(昭和二十二年十月二十七日法律第百二十五号、同日から施行)第二条第一項の規定により明らかである。この点について同法施行前の斯種賠償責任(民法第七百十七条により律したるもの。)に関する大審院判例(昭三・九・二二判決、昭一〇・五・三一判決民集一四巻九八八頁等)の見解は同法条の特別規定たる国家賠償法第二条の施行により制定法上否定されたものと解するを相当とすべく(ジュリスト二一四号一二頁加藤一郎氏論評、同二四〇号二七頁仙台地裁判決、最高裁昭四〇・四・一六第二小法廷判決判例時報四〇五号九頁、司法研究報告書第八輯第三号一五二頁以下、一七一頁以下各参照)、したがって被告のこの抗弁は結局理由なきに帰し排斥を免れない(原告らは第一次的に民法第七百十七条を主張し予備的に国家賠償法第二条、第三条を主張する旨明らかにのべているが、この推論は、右判示のごとく、逆論でなければならない。)

第二  よって、進んで本案につき按ずるに、

一  ≪証拠省略≫を綜合して、弁論の全趣旨に徴すれば「亡満州男は昭和三六年二月一三日午前六時二〇分頃乗用自動車(トヨペットクラウン六〇年型、神五す九〇三三号)を運転し横浜方面(保土ヶ谷方面)から藤沢方面(茅ヶ崎方面)に向う東海道路上を前照燈を点燈して、時速四五ないし五〇キロメートル位で進行中横浜市戸塚区平戸町九三六番地先の右曲りのカーヴ(俗にいう戸塚の山谷丁字路)に差し掛った折柄前方一〇〇メートル余りの反対側から前照燈を点じたトラックらしい車を認めた直后前方車道上が凍結しているのに気が付いたが、自車がその凍結氷上を三五メートル余り走行した辺で後輪が左振をしハンドル操作の自由を失い、突嗟にフットブレーキをふんだところ車輌が右路面の結氷のためスリップして蛇行し完全に行動の自由を失い道路の中央線を越えて反対側に飛出した為折から反対方向から進行して来た右トラックと衝突し、このため同人は脊髄損傷、左大腿骨々折等の傷害を負い約十ヶ月の療養をしたが、右負傷に因り尿毒症を併発して同年一二月二五日死亡した。」

ことが認められ、この認定を妨げる証拠はない。

二  しかして、

(一)  「原告ら主張の場所がその主張のような地形であり、その主張の場所にその主張の排水溝および土管がある。」という当事者間に争いのない事実と≪証拠省略≫を綜合すれば「本件事故地点の当時の道路及び排水施設の状況および位置関係は原告ら主張のとおりである。」ことのほか「排水溝はU字型無蓋のものであり、土管から弘明寺道傍の小川に下水の落ちる所に芥の流れて行くのを防ぐために小指位の太さの鉄棒五、六本より成る鉄格子が設けられていた。」ことが認められ、これらの認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  右の事実と≪証拠省略≫を綜合すれば「本件事故の発生原因となった路面の結氷は、当日未明事故現場上手にある被告主張の訴外横浜製紙株式会社(目的、チリ紙の製造)の製紙工場が沈澱槽を経由して紙の残滓を含むどろどろの廃水を前認定の排水溝に流し、その中になお残っている紙の残滓が鉄格子に引掛っている芥(排水溝はU字型の無蓋のものであるため芥がその中に落ち込みこれが鉄格子に引掛る。)に加って土管が詰りその導水を阻害して東海道上に溢水し、道路は該地点で藤沢方面に向って下り勾配であるので、溢水は藤沢方面に向って東海道左側の路面を流れ下りこれが折からの寒気によって凍結し排水溝と土管の接続部分を起点として数十メートルに亘って生じた。」事実のほか「本件事故地点附近は近来開発されて住宅、工場が建ち並び前記排水溝に流す下水量が増え、また従来樹木の生えていた所が宅地になったので降雨の際は雨水が一時に排水溝に流れ込むことになり本件事故の前後に亘り降雨の際は頻繁に溢水することがあり、所轄戸塚警察署は、現場近隣の住民や交通安全協会からしばしば苦情を申し込まれていたので交通安全確保のためその都度横浜市土木局にその旨通報し善処を求めていた。」事実が夫々認められ、この認定を妨げる証拠はない。

(三)  以上の事実関係の下において、かかる四囲の条件から溢水を起し易い本件排水溝、土管及び鉄格子等本件道路の附属物についてはその管理者(前示のごとく横浜市長)は常に芥を取り除く等溢水による諸般の被害を防止するにつき有効かつ適切な措置を講じていなければそのような公の営造物たる下水施設として通常必要とされる管理が尽されていたとは言えないから、本件事故の原因となった溢水は公の営造物の管理に瑕疵があったことに基因し、他に特段の事由のないかぎり、原告らの予備的主張を待つまでもなく、結局被告は本件事故に因り生じた損害を賠償する責に任じなければならない(国家賠償法第二条第一項)。

三  (一) 被告は土管を本件事故三ヶ月前に従来の管径二五〇ミリメートルのものを四五〇ミリメートルのものに取替えたのであるから下水施設になんらの瑕疵がなかった旨主張するが、右土管の取換時点が本件事故前であったことを確認するに足る証拠はないのみならず、本件事故の基本原因たる溢水は既に示したとおり土管の太さが足りないことに因るというよりむしろ鉄格子に引掛った芥に製紙工場の廃水中の紙の残滓がからみつきこれが土管を詰らせたこと(所謂詰り増水による溢水)に因るものであり、かりに事前に土管を太いものに取替えたとしても鉄格子の部分が詰るのを防止しなかった以上、土管の取替えの一事をもって本件下水施設の管理に瑕疵がなかったとは言えない。

(二) 被告は本件溢水は製紙工場が紙の残滓を含む廃水を流したために起ったものであり横浜製紙株式会社にこそ溢水、したがって本件事故に因る損害賠償の責任があり、被告にはその責任がない旨主張し、すでに認定したとおり本件溢水の主たる原因は前記製紙工場の廃水であり、≪証拠省略≫によれば「製紙工場の責任者は該工場の廃水が紙の残滓を含み溢水の原因となることあるべきを察知しうる事情の下で敢てこれを排水溝に流していた。」ことが認められ(反証はない。)訴外横浜製紙株式会社に本件損害の原因についての責任のあることは疑がないが、しかし、このことが被告の本件事故に対する責任を阻却するものでなく、ただ被告において右訴外会社に対し求償権を行使しうる事由となるにすぎないことは、国家賠償法第二条第二項の定めるところにより明らかである。しかのみならず、右各証拠によれば(就中、中野証人の証言)「被告が、本件排水溝、土管が詰り増水に因る溢水を起し易いものであるに拘らず、製紙工場が溢水の原因となる廃水を流すのを許容していた。」ことが認められ(反証はない。)、かかる許容行為も本件排水溝、土管の管理についての間接的な瑕疵と言える。故に、右被告のこの点についての主張も理由がない。

(三) 被告は亡満州男が当時の寒気を考え降雪、霜または水溜の凍結を念頭に置き時速三〇ないし四〇キロメートルで運転したならば本件の如きスリップ事故は起らなかったであろうと主張し、この主張はもし亡満州男が本件事故現場を事前に少くとも数回往来しており本件のごとき溢水、氷結を経験又は目撃しその危険性を事前に知っていたとすれば首肯しうる理論であるが、本件にあらわれた全立証によるも右のごとき事実を認めえないから、同人に被告主張のごとき低速運転の注意義務があったとは言い難い。

(四) ただ、被告の過失相殺の主張については、≪証拠省略≫と一に認定したところとによれば、「道路面の溢水又は路上氷結状況は約一〇〇メートル余ないし二〇〇メートル手前で判った。」ことが推認され、右認定を左右するに足る証拠はなく、したがって、かかる場合には自動車運転者たる者は前方注視を完全にし、スリップ事故の発生を未然に防止すべく凍結路面に至るまでの間に減速その他状況に応じ有効適切な措置をとるべき注意義務があるところ、亡満州男はかかる注意義務に違反し、漫然四五ないし五〇キロメートルの時速を以て進行し本件凍結路上に至ったのであるから、同人にも過失のあったことを否定しえず、この過失は本件損害の数額の算定につき斟酌さるべきものである。

四  よって、進んで損害の数額について案ずるに、

(一)  亡満州男の得べかりし利益

≪証拠省略≫によれば「亡満州男は本件事故当時満二九年であった。」ことが認められ、≪証拠省略≫によれば亡満州男の余命は四〇・五九年であったことが認められ、満六〇才をもって就労稼働可能年限と考えるのが相当であるところ、≪証拠省略≫によれば「事故当時満州男は月金二〇、二〇〇円の収入を得ていた。」ことが認められるから、亡満州男は本件事故後三一年にわたり少なくとも事故当時と同等の収入を得べきことが期待されていたものといわねばならない。他方、≪証拠省略≫により横浜市における一人当り一ヶ月の生活費としては金七、五六五円が相当であると認められるから亡満州男は本件事故以後三一年間にわたり一ヶ月当り月収入額より右生活費を差し引いた金一二、六三五円(年額金一五一、六二〇円)を失ったものである。右の年金的利益に対しホフマン式複式計算方法を適用して年五分の中間利息を控除すれば

……

有(効数字五桁以下切り捨て)となる。即ち亡満州男の失った将来得べかりし利益の現在高は金二、七九二、九〇〇円である。(原告らは該損害として金二、〇〇五、八一九円を主張する。)

(二)  亡満州男の治療費

≪証拠省略≫によれば「亡満州男の本件事故後死亡に至るまでの治療費として金二八九、四七四円を出捐した。」ことが認められ、この認定を妨げる証拠はない。

(三)  亡満州男の慰藉料

≪証拠省略≫およびすでに認定した事実を綜合すれば「亡満州男は事故当時満二八才数ヶ月であり、結婚後二年余りで、当時満二才数ヶ月の一女原告久子を有し、これから人生の最も充実した時期を迎えるところであったのに本件事故により瀕死の重傷を負い約十ヶ月の療養をしたが全治を見ることなく遂に右負傷に因り併発した尿毒症により死亡した。」ことが認められ(反証はない。)、同人のこれによる精神的、肉体的苦痛に対する慰藉料としては金五〇〇、〇〇〇円が相当である。(原告等はこの慰藉料として金三〇〇、〇〇〇円を主張する。)

(四)  強制保険金の控除

右の得べかりし将来の利益、治療費、慰藉料の合計額は金三、五八二、三七四円であるところ、原告らは自賠法上の強制保険金として金五〇〇、〇〇〇円受領したというのであるから、亡満州男に関する未填補の損害は金三、〇八二、三七四円である。(原告らの主張するところは二、〇九五、二九三円である。)

(五)  相続に因る損害賠償債権の取得(原告文子および同久子)

原告文子、同久子と亡満州男との間の親族関係については当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば亡満州男の相続人は同人の妻の原告文子及び同じく長女の原告久子の外に存在しないことが認められる。よって、原告文子は右金額の三分の一に当る金一、〇二七、四五八円の、同久子は同じく三分の二に当る金二、〇五四、九一六円の損害賠償債権を相続によりそれぞれ取得したものと言わなくてはならない。

(六)  原告文子および同久子の慰藉料

既に認定したとおり、原告文子は婚姻生活三年余りにして幼少の原告久子を抱え夫に先立たれ甚大な精神的苦痛を受けたことは明らかである。又、原告久子は将来父の監護愛育を受けることなく一生を送るのであり、それにより精神的苦痛を受けるべきこともまた明白である。これらの事情を考慮して原告文子に対する慰藉料は金五〇〇、〇〇〇円が、同久子に対するそれは金七〇〇、〇〇〇円がそれぞれ相当である。

(七)  原告セイと亡満州男との間の親族関係は当事者間に争いなく、同原告は実子を失い多大な精神的苦痛を受けたことは認めるに難くないが、同人には他に実子(中村中)があることは原告らの主張と≪証拠省略≫によりこれを認めることができ、亡満州男が原告セイの老後を托すべき唯一の子であったわけではない。これら、本件にあらわれた諸般の事情を参酌して原告セイに対する慰藉料としては金三〇〇、〇〇〇円が相当である。

(八)  過失相殺

されば、原告文子の損害賠償債権は以上合計金一、五二七、四五八円、原告久子のそれは同合計二、七五四、九一六円、原告セイのそれは金三〇〇、〇〇〇円となるところ、本件事故の被害者訴外亡満州男にも亦過失があったことはすでに判示したとおりであるから、これを2/10の割合で斟酌して結局原告文子の分は金一、二二一、九六六円、原告久子の分は金二、二〇三、九三二円、原告セイの分は金二四〇、〇〇〇円となり、被告は原告らに対しそれぞれ右損害金およびこれらに対する本件不法行為(事故)の日の翌日たる昭和三六年二月一四日以降完済まで年五分の民事法定利率による遅延損害金を支払うべき義務がある。

五  結び

よって、右判示範囲内にある原告文子および同久子の本件各請求は正当として認容すべく、原告セイの請求は右判示の限度においてのみ正当として認容しその余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条但書を、仮執行の宣言については同法第一九六条第一項を、各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 若尾元)

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